世間でいう立派な大人かもね

まぶたをあげる。

休みの日なのに8時には目がさめてしまった。つい何週間か前までは短針が12を回ってもまだ起きなかったというのに。とりあえず身体を起こして、瞬きをする。

カーテンを開ける。

引っ越して大きくなった窓から見える少し近くなった空が青で自然と口角があがる。今年も晴れ女だ。目がさめてから顔を洗うまで、眼鏡をかけないから朝イチの空はいつも鮮明ではない、から遠くの電線のその奥に、風船が見えた気がして少し笑う。何分か前に見た青いアイコンの中での景色だ。

窓を開ける。

レースのカーテンに潜って、不鮮明な世界のまま鍵を下ろして少し重たい窓をひく。途端に土曜の朝の空気に乗って、隣家のコーヒーの香りが流れ込んでくる。ひさしくコーヒーを淹れてないな、と思いながら外を一瞥して息を深く吸う。吐き出した息は昨日のものとは全然違う。

蛇口を開ける。

浄水ポットの水が足りないことに気づける余裕はある。余裕がなくなると水がいつもないし足の爪が伸びっぱなしになった。去年の夏の話だ。今は大丈夫。水が落ちるまでにすこし、時間がある。浄水ポットを定位置に戻して顔を洗う。柔軟剤の香りがする手ぬぐいに顔を埋めて、それだけでいいじゃないかとすら思う。

ふたを開ける。

平日の朝はコーヒーをゆっくり淹れられる時間をまだ作れていないから、もっぱらドリップは週末の朝のたのしみになっている。そういえば毎朝窓を開けてもコーヒーの香りがしたことはなかったから、どこかの誰かも同じなのかもしれない。まだ運命のミルに出会えていないから、今年は出会いたいな。フィルターにコーヒー豆を入れて、お湯をすこしずつ、くるくると注ぐ。ちいさく、ゆっくり、まあるく。そうやって生きてたい。

コップを空ける。

コーヒーはすっかり飲みきってしまって、ぼんやりと外を眺める。ベランダでコーヒーを飲むのは朝でも夜でもめちゃくちゃ「いい時間」を過ごせる。こうやってすこしずつだましだまし、甘やかしながらでもわたしは生きている。いいと思う、それで。

袋を開ける。

誕生日プレゼントが届いた。母から。布団カバー。白と黒の。すきなブランドの。明日の朝付け替えようと思う。すべすべのシーツ。手紙はない。いつもどおり。大切なことは紙に残すなって教わった、残しても自分の手で無に帰すのがルールだって。わたしの日記はいつまでも増えない。

瞳を閉じる。

いろんなことが浮かぶ。今日のこと、先週のこと、先月のこと去年のこと。その前も、昔も。見えないのはこれからだけで、あんしんする。わたしはもしタイムマシーンがあっても過去にも未来にも行きたくなくて、強いていうなら「あの時のあれをもう一回見たい、食べたい」とかで、ぜんぶ、大丈夫、これまでもこれからもぜんぶわたしなので大丈夫です、と思っている。

いろんな予想できないこと、予想外のこと、想像以上のこと、ほんとにいろいろあったけど、今こうして立って、歩いて、生きてるから、大丈夫、です。

いくつかパラレルワールドは閉じてしまったし閉じてしまうし閉じていってしまうんだろうけど、わたしにはわたしがいるから大丈夫。

みんな、わたしを大丈夫にしてくれてありがとう。サイコーの運命です。もうしばらく運命につきあってください。

扉を開ける。

玄関を開けて、外に出る。相変わらず空は明るい。わたしの未来のしあわせは、わたしがどうにか育てていくので、大丈夫。ぜったい、大丈夫だよ、未来のわたし。

23歳、まあまあ素敵に、けっこう平和に、わりと元気に、適度に適当に生きていこうと思います。

Just only stars blinking always breathe in …?

春のはじめを小指で手繰る

 

 

(前編ネタバレがあります!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「ぼくたちの国の、神様の、子供」

わたしの中の国の、神様の子供がこれを言う、もう、これに尽きる

 

 

***

 

 

『セッション』のターンめっちゃよかった…!

 

将棋のターンでしかナレをいれないのすごくよかった

 

「生きるため」の最初の選択でうそをついたから、誰かが生きるためにして掃除もゴミ捨ても飲み食いにも興味がない

だから、自宅がどれだけ乱雑であろうと、集合玄関に落ち葉がたくさんあろうと、無関心、気づいてても興味がない

 

ただ川を渡るために橋の上を歩く、来た道を振り返る、このシーンを単音のピアノだけで表現したのはほんとすごい、音楽は菅野祐悟

 

今まで蔵之介に興味なかったけどいちばんを争うくらいよかった

 

たくさんの大人がいろんな角度から零くんを生かそうと見ているのに気づいていない、その目は死んでいる、ハイライトはない。だんだん気づいていって目に光が灯る

 

幼少期のシーンには必ず光の玉がある、まるで寄り添うように、支えるようにそばにある

 

背中、背中を背もたれに縫い付けられている感じだんだんと、ちくちくと縫い付けられて行く

圧がすごい、登場人物全員から「生きる」「生きてやる」「生きている」という圧がすごいから、それにだんだんと打たれていく

 

ごはん、食べることは生きること

唯一、食べるシーンがないのが宗谷冬司だ、飲むことすらしない

「気づきませんでしたか」「美しかったですね」たった二言で物語の全部を持っていってしまった

美しい、うつくしい、か

 

 

・・・

 

これが完成披露試写会で見た後、メトロに乗ってカカカカっとフリックしていたこと、なんだけど思い出すだけで泣きそうだ。

 

わたしは映画に「生きること」を見つけるのがすきで、そういうシーンやカットがうまく構成されている作品がすきなのだけど、『3月のライオン』は全編通してそれだった。「生きてない」シーンが、ない。

 

もちろんそれは人の営み、生活という点でもそうだ。上にも書いたと思うけど「食べること=生きること」という最大の方程式がこれほどまでに意味を持っているの、ジブリくらいしか出会ったことない。だって零くん、ひとりじゃちゃんとご飯食べないから。

でも川本家はご飯を与えるためだけの存在ではない。きちんと命の恩人で、きちんと零くんの人生の登場人物だ。「生きること」を教えてくれるひとたち。

 

教えてくれる、と言えば林田先生なのだけど、彼は彼でたくさんのことを教えてくれる。もちろん教師だから、勉強とか単位とか、そういう通り一遍のことはもちろん、零くんの人生においての優先順位をきちんとつけられるようにストレートな"言葉"で教えてくれる。導いてくれるひと。

 

零くんは当時、将棋でつよくなることしか生きる道を見つけられなかった。だから感情表現も言葉も、だいたい必要な時にしか充足してない。だからといって乏しいわけではない。でもそのまま、生きてこれたのは将棋で、盤の上で、たくさんの大人たちが零くんへ、たくさんの言葉を向けてくれたからだ、とおもう。零くんを、きちんと棋士として認めてくれているから、零くんがそこに存在していていいのだと、みんな一手一手で伝えてくれたから零くんはちゃんと道を歩いていける。街灯のように歩ける道を照らしてくれるひと、たち。

 

二階堂くんがいてよかったなあと心からおもう。あの夏が暑くてよかったし、青空がいい加減じゃなくてよかった。同年代に切磋琢磨できる人がいるだけでずいぶん人生の硬度は変わってくるんだなあと改めて思った。二階堂くんが会える距離にいてよかった!磨いてくれるひと。

 

この作品、いわゆるモブ、がひとりもいないのがすごい。ひとりの人生も残らず気になってしまう。知りたい。どこで生まれてどうやって育ってどうして将棋に出会って今、そこにいるのか。きちんと描かれる。それ、今までのすべて、ひいてはその人の人生が、一手にこめられている。

小さな駒が盤の上に置かれる時、ひとつまた歯車がまわる。そんなさまをありありと見せられる。

生きるしかない、とおもう。この人たちの人生を見つめて、自分の人生を見つめて、生きる、しかない。

 

 

・・・

 

 

そんな話のね、主人公、桐山零くんを、神木が演じてるんです。生きるか死ぬかを記憶がない中彷徨って、今ああして、立っている神木が。

神木のどこがどうで、なんてもう、話すことすら野暮なんじゃないかとおもう。ひとそれぞれのあの人の見え方があるだろうと思うし、結局神木が生きていてよかったにたどりつくので(……)、わたしはもう胸に秘めることにする。すきしかないんだもん。

神木、限りなく空に近い透明だとわたしは思っている。そして、もう、ずっとわたしのいちばん星なんだと、確信してる。

 

 

2017年3月18日、春の歌がぴったりだ。暖かい陽に包まれている日。季節にふさわしく、気高くありたい。自分に対して。自分だけでも。幻なんかじゃない今日をわたしは生きたい!

 

公開おめでとうございます!!ひとりでもたくさんのひとの目が、零くんの目を見て、自分の目に零くんの人生を映してもらえますように!

backlight/twoneight

 

 

あまりにも抽象的で文章濁しまくりで意識が混濁しているのでは?と思われそうなのですが、この受け取った思いをですね、具象化できるほどの知識と言語がないのとそれらが伴う未来が想像できないのでこのままあげてしまいます。

いやわっかんねーわ!どういう意味よ説明しな、という点随時受け付けていますのでなんでもいいので何らかの方法でコンタクトを頼みます……。

 

https://www.instagram.com/p/BQp54jEAYvl/

誕生日おめでとうございます(^o^)v🎈🎉でした#amazingcoffee #baloon #happybirthday #🎈

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LDH始めたことはこのブログでも以前お知らせしましたし、ツイッターはもっと大変なことになっていますし、始めて半年も経っていないのに本家とさんさんめ以外この目でそのステージを見てしまっているという、まるで紙袋から零れ落ちたオレンジのような状態で何ヶ月か過ごしています。朔です。涼です。︎︎︎♥︎⚡︎です。誰でもいいです。

 

 

でまあ推し?担当?1番の人?には基本薄くて軽いスタンスを装っているので(突発的な溶解はよくある)、だいたい表立ってキャーキャーしてるのは言い方悪いけど2番目や3番目の人……というのが通常営業なのですが、ひっさしぶりにすきな男のシンメ=2番目や3番目でもない人、のことをめちゃくちゃに考えてしまっているんですよねえ。すきな男は橘ケンチで、そのシンメのEXILE TETSUYAさんのことです。ねえ。やまかみ以来じゃないですか?こんなにシンメのことをどうのこうの考えてるの。ちなみにわたしのすきなシンメはうちりょ、やまかみ、以上です。そこに横須賀が加わりそうだよどうしてくれんの?

 

 

いっちばんすきなれおちゃんのシンメは立ち位置的にはしらはまで、社会学的には隼で、哲学的には涼太、みたいなとこあるけど、そんなにそうでもないんだよな……こう、唯一無二のシンメだぜ!みたいな……いやあるけど……れおよせしんどいけど……こもれおの次元がわからないけど……まあでもこれはじぇねぴっぴ箱推しだからですね。れおちゃんを中心に誰を見ても平和……っていう。もちろんわたしが勝手にれおちゃんを中心に見てるだけですので、あなたの宇宙のいちばん星はあなたが決めてください。

 

 

 

 

でまあ哲也さんの話、をですね、しますね。

 

わたしがすきになる芸能人、だいたい"受信"する人なんですよ。受け身とはまた違うんですけど。自分が今何を考えてどう行動してその結果これを求めてるよ〜〜っていうのを言わない、出さない人、の意。もっと簡単に言えばこれをがんばってるよ〜〜って、がんばってるところ(期間、場面)を見せてくれない、人。たまーにいつもと違う"発信"をされると混乱する。すきすぎて。真面目に頭を抱える。すきすぎて。

それ故にこっちが何を好き勝手言ってもどうせ聞いてないんだろうしそれもまたいとおかし、という。春はあけぼのでしょ〜〜ってこっちが大衆の総意として言ってもそういう考え方もあるよねって言いつつ自分の中の春の解釈は全然違ってまあ同意もしてないけどだからと言ってそこの本意は今は言いませんよ、言う理由がないので……みたいな(わかんねえ)。

そして完成度のめちゃくちゃ高い完成形しか提示してくれない、人。

例を挙げるとすればにしきどりょぉちゃんとか、にしきどりょぉちゃんとか、まあれおちゃんもそうだし、ゆんちゃんもそうだし。神木も、割とそうですね。俳優は多分そうなりがちなんだけど。

ケンチさんも割とそうかな〜〜と思っていて、いやいろいろ言っとるやん絵文字おじさん表現割と過剰だわ、って感じはあるけど心の内まったくわからなくないですか?あの人。言ってることと表情は一致してそうだけど内心何考えてるのかは絶対見せてくれない、みたいな。腹黒さではなく、ある種の影?闇?の深さみたいなもの、端的に言ってしまえば自分の世界が自分の中でめちゃくちゃ明確に見えている人なのだな……それを教えてくれることはあまりないけれど、と、この超ど新規ながらわたしにはそう見えていて。それはSECONDのリーダーとしてなのか、それともTRIBEの年長者としてなのか、はたまた個人に由来するものなのかまだまだ全然わからないんですけど。

 

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で、それの線の向こう側にいるのが、哲也さん。自分の世界を、みんなの世界の中に構築しまくっていて、それをガンガンに提示してくる人。

この人めちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ!"発信"側の人間なんですね……。びっくりした。こんなに発信しまくってる人あんま見たことない。発信しすぎて枯渇しないか心配になるくらい。それくらいのものをそれ相応の熱量で発信しまくってて全然受信が追いつかないからこの人の担当になれない!!って求められてもないのに白旗降りました。無理。咀嚼まで見届けられてる感じがある。はいどうぞ、って美味しいご飯出されていただきますから咀嚼、嚥下までぜーーーーんぶにこにこ真っ正面から見てくる感じ。食いづらいわ。めちゃくちゃ手の内だわ。ほとんど洗脳じゃないか……?(!)

 

ダンスそのものの捉え方とか、そこからどう世界を見ていくかとか、それをどうツールにしていくのかカルチャーにしていくのか、コミュニケーションにおけるそれとは、その向こうに見る夢とは、それがもたらすしあわせとは、それとともに時を過ごして最後の最後に触れられる愛とは、っていうエンターテイメントの根幹に対する問いとひとつの答えをあらゆる手段で一気に発信してるじゃないですか、この人。

じゃあその主体であるダンスに足りないものは何か?お分かりの通り言語と味覚なんですよ。じゃあ自分が考えていることをお話しましょう、どうしたらそれが伝えられますか?その手段を考えた時にもう相手のことを考えてますよね?おもてなしの心が生まれてるでしょ?ね、ダンスもエンターテイメントでカルチャーでしょ、コーヒー飲みな(順不同)、って網羅された……。なんなのこの人……。何も言ってないのに論破された……。みたいな。まじでなんなの?おはようからおやすみまで哲也さんなの???

 

ここまで壮大じゃなくても、どんな手段でもいいから特定/不特定の相手に何かを伝えましょう、あなたの考えていることを過不足なく!って言われたらめちゃくちゃ疲れるんですよ、どうしたら伝わるのか、考えるのも実行するのも。

特定の相手の場合、わたしはそれをファンレター書くときの気持ちに近いなと思っていまして。

先日2日続けてファンレター渡すべき現場があったので何日前からか考えつつ2日連続で書いたんですファンレター。もうね、1人目の序文の時点で書きたくなくなったし、なんなら「ファンレター書かなくては」って気持ちが発生した時点からファンレター書きたくなかったwwだって過不足なくわたしの思っていることを伝えようって考えたら行き着くところまじで「生きててくれてありがとうございます」なんすよ(^-^)みんなそうじゃないww?

褒めるとか褒めないとか、なんかもうそういう次元じゃなくなるんすよねわたしの場合。わたしの人生(という物語)に登場していただきいてありがとうございますってなってしまったら、それって結局生まれてくれて/生きててくれてありがとうになるじゃん!???もうこっちから発信したいことなんてないんすよ!!!!生きて活動しているあなたを(どんなに間接的だろうと)この目で見ることができれば人生サンキューオーシャンビュー!!!って感じなんですよ。わたしはね。話が逸れましたね。

 

 

だからね、自分の誕生日なのにこっちがしあわせになることなんて、しなくていいんですよ。なんならもっと驕ってくれても別に誰も怒りはしないんですよ。誕生日なんて!世間的には普通の日!何も変わらず映るのに!って日なの!!!だからこっちが勝手に「今日哲也さん誕生日だからアメコー行って(間接……直接なのか……?)貢いじゃお(^o^)v」でいいんですよ。別にね、いいんですっていうかむしろそれが普通なんです多分。自担のお誕生日だから写真買お♡お誕生日だから本人不在のパーティー(鑑賞会)しよ♡普段は買わないケーキ買っちゃお♡わたしにとっては空気の味さえ特別風味よ♡みたいなノリですよ、それでいいんですよ。日付の入ったレシートだけがおれたちの勲章!!!でいいのに。

なのにね、あの人、自分の誕生日までも発信の機と捉えて使ってきたじゃないですか、ご存知の通り(テキスト頭につけた写真がその様子です)。もうよくわかんないよね、何をどう受け取っても「愛してくれてありがとう(^o^)v」でしかないじゃん?!!?!!!!(ちょっと盛っ……そうでもないな)こちらこそ愛させてくれてありがとう……哲也さんを愛することのできる世界ほんと感謝……(1日218回横須賀あるいは中目に向かって礼拝)って感じなのに。

 

だからね、どうかその発信するパワーがね、ずっと続くようにこっちも受け取ったよーって最低限というできる限り最大限で返していきたいなーなんて思ってしまうわけです。あんなに発信してくれるんだから返さないと、と思う。そしてそう思わせるほどの求心力もある人なんだよなあ……。そんな発信の鬼・哲也さんの今年の目標「インプットをする」らしいんですけど、まじかよ。

でもそんな人がシンメだからこそ自分は受信や総括に徹することができるんだろうなあケンチさんは。代々木でふとした瞬間に空間全体を見渡してる温かい目をしたケンチさんがすごく印象的だった。

 

いいよな〜〜目を見ないシンメだいっすき。背中合わせのシンメがいちばんすき。目指すゴールが別でもなんら構わない、歩む道がたとえ別々だとしても大丈夫、お互いの背中だけは傷つかない。背中を見せるって一見冷たいことのように思うけど相手を信頼しまくってないと背中なんか向けたくないんですよね。スモーキーみたいにズバァンとやられちゃうからね。誰だって傷つきたくないでしょ。だからこそ背中を預けられる相手は尊いんだよねえ。いいよねえ。

どこかで道が違っても何もおかしくなかったのに、今同じ道を歩んでるっていうのもいいよねえ、いいよね!!!横須賀いいよね!!!!自重しろとか思ってるけどめちゃくちゃいいシンメです!!!

 

 

 

何が言いたいかといいますと、なんでしょうね。わたしのすきなシンメのタイプの話をしたかったのにな。哲也さんの発信力すごいぞ!みたいな話になってるな……まあいいか……。(極論、ここに書いたことをダンスで伝えられるようになるともっとたのしいよ!というのが哲也さんの日々発信していることになるのだとは思う……難易度が高い。ダンスでアースをハッピーにするのむずかしい。)

 

まあ最後に……。2/22発売の新曲『SUPER FLY』でも哲也さんの発信力は遺憾無く発揮されておりますし、それが塊になってるのか3/1発売のアルバム『BORN TO BE WILD』で、特典にその様子がこれでもか!!!と映っているツアーの本編がつくようなので、どうぞよしなに……。文字にしても福利厚生がよすぎる。

 

LDH、いろんな発見があってたのしい宇宙です、日々たくさんの新しい星を眺めることができます……。

わたしはどこへ向かっているの……。

 

 

追記

みんなぜひ『SUPER FLY』のMV見てくださいね!!!サイコーだから!!!!!ちなみにビビッドピンクのシャツにブルーのセットアップの美女が哲也さんで、臙脂色のハットで眼鏡のヤバいジョジョの人がケンチさんです!!!!

 


EXILE THE SECOND / SUPER FLY (from NEW ALBUM 「BORN TO BE WILD」)