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いつかと同じ風吹き抜けるだけ

memo

そろそろ扇風機片付けなきゃな〜と思い始めて早十数日。でもうちのはサーキュレーターだから冬も使う可能性あるのか〜と思い早数時間。ということで未だに出しっぱなしになっている白いそれ。空気を循環させる目的で作られ販売され購入されたにも関わらず涼をとるため使い回された夏。お疲れさまと言いたいところだけど、暖房使い始めたら暖をとるために使われるからこれからもよろしくと言うつもり。便利屋かよ、言葉を持っていたら檄を飛ばしながら言われそうで怖いなあ。今週末は掃除してあげられそうだから良い子にしててね。

彼らは一年でいろいろな種類の舞台を数多く経験して、時には役名や台詞をもらう事もある。一つ一つを踊り歌い演じる中で何を意識しているのかはパンフレットや雑誌、ラジオや直で聞ける事もある。でも心のうちで本心は何を思っているかなんて私たちには分からなくてその術さえ知らなくて知る術もなくて。もしかしたら本人たちもわかっていないのかなあなんて。でも知らなくても舞台に立つ彼らの姿を見ればいやでも何かを感じてしまう。結果あることないこと補ってしまう訳だけど。知らないなら知らないなりにいろんな方法で楽しんだって良いんじゃないかなあ。

好きに理由をつけると嫌いな理由も付随してしまうからすきなものはすきなんだ、と感情的になるのも一種の技なんだと思っている。もちろん好きな部分というのはあるにしろ、その部分に理由をつけてそれとは逆にベクトルが向いているものを嫌いになるように自分から仕向ける意味は全くない。「すきなものはすき」。他人に強要する気もさらさらないから。自分が好きで、その好きに自分が納得していればオールオッケー!すきなものはすきなままで終わりたい。

循環、と言えば良いも悪いもあるわけで、良いの後にはだいたい悪いが来て繰り返すって言うのが社会の定説な訳で。舞台の上も言ってしまえば小さな社会で。何か悪循環の元があればどんどん悪い方に流れていくのが節理なのにそれを止めて、逆エネルギーを発する人がいて。流れようとするものを止めて逆に流すのに何倍の力が必要なのか、何ニュートンになるのかなんてわからないけれど1回1回全力である事に間違いはない。その上で何か感じる事があるから前に進めるんだろう。

私は毎回観劇へ行く度彼らに対してのハードルというか何を越えて次何を越えるべきなのかを考えてから見るけれど、今日今までの事に考えを巡らしてみたら自分の中で一番大きな目的が「この舞台に対する彼らの役割は何か」である事に気づいた。必要とされるからこそ場数を踏める訳で、場数があるからこそひつようとされるわけで。どこへ行っても良い空気を循環させられるような役割を持つグループであって欲しいなあと切に願います。

夏が無事終わり?秋の香りが自己主張をし始めている今日この頃。金木犀の香りを帰り道に嗅ぐとどうして物悲しくなるんですかね。空も高く遠くなって大切な人が大切な気持ちが離れていくような心地に襲われる事しばしば。本当にそうならないように、金木犀の香りを目印に何かを探しているのかもしれませんけどね。金木犀の香りをサーキュレーターで送って、無事元の居場所に戻って来れますように。さあえび座初日。日比谷に良い秋の風が吹きますよう。