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箱の中身

フォレストは何度もなんども“Life is like a box of chocolate.”と言っていた。

そう、人生はチョコレートの箱のようなもので、開けるまで中身はわからなくって、1日1日、毎朝起きるたびに新たな箱を開けてわたしたちは生きている。今日の箱の中身はなんだろう、どんなものだろう。だからあの日の出来事も箱の中のチョコレートの一粒のような他愛もないもので、食べるべき時でない時にそれを手にとって食べてしまっただけだったのだろう。

人の人生の選択なんてその人次第で、それに介入してわたしがあれにしろこれをしろなんて言える権利も自由もないわけで、あの日彼がその選択をしたのは彼の自由なわけで、後から知って勝手に言葉にするのはわたしの勝手なわけで。

きっと世のジャニオタがいう担降りなんてポーズなだけで、そんなものその対象者が生きている限りできっこないんだと思う。ただ、自分の中のレンズのフォーカスを合わせる人を変えただけでフレームの外もしくは内にその人はいるんだから、意識的に見てないだけ見ないふりをしてるだけなんだろう、と思っている。

だからわたしは未だに一番初めの人から担降りなんて出来てない。ずーっとピントを合わせ続けていることもないけどフレームの中には存在し続けている。

既に終わったようなわたしのジャニオタというフレームの中で消えたのは一人だけだとわたしはもうずっと知っている。知っていて見ないふりをしていた、見たくないから。

昨日バイトの帰りに用があったのでコンビニに寄って、ふと棚の上のチョコレートが目に付いた。バイオリズム的に食べたくなるタイミングではあったのだけど、あれからそろそろ1年を過ぎたので、ようやく思い出してもいいような思い出になりそうな気がした。

チョコレートを買った翌日、もうこれから誰の選択も自分の感情の中に入れたくないと思いながら、そしてチョコレートがすきだと目を細めて言った、フレームから消えたその人のことを思い出しながら、わたしは箱の中のチョコレートに手を伸ばす。