雨雲のフルーニュ(青みのミントを添える)

なんとなく、旅の途中にピンクとグレーのことを思い出して感想を引っ張り出した。

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ピンクとグレー読了。

「ごっち」がどうしてもある人にしか見えなかった。

だいすきで、憧れで、尊敬していて、友人で、なりたい自分の理想像である彼は死んだのだ。醜い姿を晒しながら彼は。悪意でも謝罪要求でも後悔でもなく主観的事実だけが残る。

このタイミングで言うけれど今のNEWSになるまでシゲアキのことは苦手だった。良く見られたいとか自分はバカじゃないそこら辺の奴らとは違うって言うのが、本人にあったのかどうかは別にしてわたしには何故かそう見えていたから。きっと何でもうまくいく自分ならそういう方向に持っていける力があるって根拠のない自信を頼りに生きている感じがしたから。これはきっと、おこがましくも恥ずかしくもあるけど当時のシゲアキと同時期の自分の観点とか、事象に対する理由の付け方とかが似ていたから、なんだろう。

でもシゲアキは芸能人、アイドルとして一度最も底に近い部分を見てそこに立たされた。その時はまだすぐうまくいくようになると思っていたんだろう。でもそれに対しての社会の返答はそれを粉々に砕いた。そこでシゲアキはシゲアキの中の、そして前の現実と言うものをみるわけであり、そしてこの作品は生まれた。

それからのシゲアキは少しずつ変わっていって、今はその最中で、現実の中に希望を見つけ出すのがうまくなったなあとか人に甘えられるようになったなあとか、思っている。だからわたしも、シゲアキを見るのが楽しくなってきて、そこにいたのにどうして過去のシゲアキを知らないんだろうと思ったりも、してる。(すっかりシゲアキの話になってしまった)

読後がね、もう最悪だった。思考のすべてが止まった感じだった。でもまずいわけじゃなくて、同じものをもう2度とは感じられないんだというところからくる最悪だった。現にもう2度目を読み終わったけど、最初の最悪は味わえなかった。最悪は一度しか訪れない。

最近になって強く思うことが『負のエネルギーは人を上昇気流に乗せる』ということ。負のエネルギーというのは与えた人にとって針の先程度もしくはそれ以下のものであっても受けた人にとってはジャックナイフで斬りつけられたもしくはそれ以上の傷として残っていて、それを見返してやるとか越えてみせるとか思って行動することで今まで自分の中になかったモノを生み出す力に繋がっていると思う。シゲアキのその結果がこの小説なら大成功だなあと思った。

シゲアキの中の負のエネルギーがもっと爆発すればいい。自分のなかで殺した彼を糧にして越えろ。想像を事実に変えて必然にすればいい、シゲアキならできるはず。やるしかない、やらないなんてないから、ね。

because it did happen.

追記:まあたしかに、定型としてのアイドルである彼は、シゲアキが「さみしさ」を感じた瞬間に死んだよね。

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まあ、なんてことないんだけど。生きましょうね(定型句)。