2016/08/06

あっという間に下半期、あっという間に夏、あっという間に8月6日です。

巷は五輪開催だと騒いでいて、ハッとした。時間、被って、なかった。ちゃんとある。

わたしは然るべき理由があって小中高と広島で過ごしていた。小学校1年生の夏休み前、担任から「明日から夏休みですが、8月6日だけは登校日です」と夏休み1行日記に赤で印をするように言われた。来れません。明日から帰郷です。と思いつつ印をして、家に帰ってから母に電話してもらった。家庭の事情で行けません。便利。家庭の事情。

なぜその日だけが登校日なのか、当時のわたしは知らなかった。多分、そういう人が大半だと思う、国民。

母から聞いて、そうなんだ、と。行かなくていいの?行けないから仕方ないよ、でも黙祷だけはしようか。と言われた。黙祷。漢字も浮かばなかったけど、うん、と返事をして、ランドセルの中身をそのまま旅行鞄に詰め込んで、わたしは毎年西の夏から逃げていた。湿度が高く、むしむししすぎる、うだるような夏から。

翌年から一応その日まではとどまることになった。その時にはもう、夏休みを前に、1人何羽以上、と折り鶴を折る意味もわかっていた。その日は昼で終わりだから、ギリギリ2便目には乗れる、間に合うねと。7月20日前後から2週間と少し、西の夏と向き合っていた。めちゃくちゃ暑くて、そして絶対晴れる、その日を広島で過ごすために。

毎年その日だけは朝の集合が少しだけ早かった。いつもは8時20分までに教室、だったけどその日だけは8時10分までに集合だった。教室に着くとテレビがついていて、ランドセルを机の横にかけて座ってテレビを見る。スーツを着たおじさんと、たくさんの人。代表して文面を読む同年代と、火越しのドーム型の建物。公共交通機関で30分弱の見慣れた風景に、数え切れないほどの人がいる。14分をすぎる。みんな立ってください、と担任に言われて立ち上がる。椅子をガタガタさせて、しまう。瞬間、静かになる。テレビからの声に合わせて黙祷をする。手を合わせて、目をつむって、祈る。何を?平和を。

毎年そうだった。中学に上がっても。高校はさすがに全校登校日ではなかったけど、夏季補習とか、部活とかで結局学校にいた。その日だけは、勝手にテレビをつけても何も言われなかった。

小中の登校日は、毎年地元のおじいさんやおばあさんが来て、不慣れなマイクを前に、聞きなれない単語の多い、聞き取りやすいとは言えない声で、たくさんのお話を聞かせてくれた。みんな暑い、とかだるい、とかめんどい、とか言ってた。確かに暑かった。講演の後はB5一枚いっぱいに感想文を書かなければならなかった。これもみんなめんどい、書くことない、と言っていた。ちゃんと書いていた。暑い中、ありがとうございました、知らないことばかりで、伝えていくのがわたしたちの世代の使命で、と。9年間も書いていたらもう常套句だ。でもわたしは初めて行った年以降、毎年本気だった。初めて登校日に登校して、講演を聞いて、感じたことをそのまま書いた。裏表いっぱいになって、担任には何か褒められたような気がする。褒めることでもない、と思っていた。

9月になって2学期が始まった時、職員室に呼ばれた。ハガキを見せられた。We are the Worldみたいに世界中の子どもが笑顔で手を繋いでいる絵のハガキだった。見覚えはなかった。

「講演してくれたおばあちゃんから、あなた宛に、一通だけ届いたから」と言われた。一通だけ?わたしにだけですか、と。そう、と担任は言った。みんなの感想文は毎年届けているけど、返事が来たのは初めてよ、と。受け取って、教室に戻ってすぐランドセルにしまった。なぜかみんなに見つかりたくなかった、悪いことでもないのに。

その日は急いで家に帰って、宿題より先にハガキを出した。黒ボールペンで、震える字で、色々書いてあって、最後に「ありがとう」と書いてあった。ありがとう、と。感謝されることは何もしていないのに、ありがとうを受け取ってしまって、よくわからなくなった。母にも見せなかった。「開けないで!たからばこ」と書いてある箱にしまった。プラスチックのネックレス、飛行機の絵葉書、クロウカードの鍵、クリオネの切手、なっちの写真、星の砂と一緒に、しまった。

わたしはきっと、このことを絶対忘れない。

暑い中ほぼ空のランドセルを背負って登校した8月のあの坂も、勝手にテレビをつけても怒られないあの日も、背の順で並んで体育座りをしていた1時間も、鳴り響くサイレンも、あの震える字も。

すっかりサイレンのならない街に住み慣れても、毎年夏休みどれだけ不規則な生活をしていても、絶対に起きてしまう夏を過ごしている。毎年どこが変わったのかわからない首相の平和宣言を聞いて、市長の平和宣言を聞いて、地元で選ばれた小学生の平和宣言を聞いて、サイレンと鐘がなって、黙祷をして、目を開ける夏を。揺らめく炎の向こう側に見える、鉄骨とレンガのそれを。誰が来るとか、来ないとか、どうでもいいとすら思う。島国1つに浸透させられないのに、もう友好的だというのに、海外のの偉い人を呼ぶ。来ないのか、と問題になる。全国でサイレンすら鳴らないのに、平和記念式典、最後まで放送しないくせに、と毎年思う。

折り紙はすきだったから、たくさん折った。小学生の間に、何度原爆資料館に行ったか、もうわからない。わからないくらい行った。みんな蝋人形をこわがっていたけど、割とすきだった。当時のものがそのまま残っていることに感動した。壁に影が残っているのすごいんだよ。半分だけ曲がったお弁当箱も、薬の包み紙で折られた鶴も。みんな行ったことある?ないよね、きっと。広島にすら行かないでしょう、コンサートでもないと。まあコンサートに来てるのにわざわざ原爆資料館、グリアリからは近いけど、行かなくていいんだけどさ。

東京で暮らすようになって、そんなもんだよね、と割り切った自分もいる。サイレンも鳴らない、式典は途中で切られる。でも、毎年正方形の紙を作ってまで折ってしまう、手癖のように折れてしまう。三角、もう一度三角、開いて四角。それで何が変わるでもないけど、なぜか。生まれた地、ではないのに、なぜか。

とりとめのない話をしたけど、無理強いするものじゃないし、広島県民だって9日は登校しないし、逆も然りだと思う。でも知らない、じゃないでしょ。だってみんな『シン・ゴジラ』見たでしょ?牧先生は何を残してた?矢口はエレベーターの中で「先の戦争で」と言ったね。カヨコはなぜ必死に止めようとしてくれてた?ゴジラはなぜ、生まれた?そしてなぜ、街を壊した?全部わかってるのに、知らないはずるいから、せめて、せめてね。

でも外歩いてるのに突然止まって手をあわせるのは危ないから、第一陣が全滅した時の矢口蘭堂のように、一瞬だけでも目を閉じてくれたら、何も変わらないけど、誰も喜ばないけど、すこし、何かが変わるかも、しれない。

この時期に公開してくれてありがとう、とすら思う。オリンピックも楽しもうね、夏も楽しもうね、楽しいを思いっきり楽しんで、楽しめるための環境に感謝しよう、それは平和への感謝にもなるから、平和でよかったね。ゴジラもいないし、今日もあついよ、生きましょう。今を生きるために、平和を願いましょう、っていう日にしましょう。伝える使命があるけど、これくらいしかできない。おわり。