読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

春のはじめを小指で手繰る

 

 

(前編ネタバレがあります!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

「ぼくたちの国の、神様の、子供」

わたしの中の国の、神様の子供がこれを言う、もう、これに尽きる

 

 

***

 

 

『セッション』のターンめっちゃよかった…!

 

将棋のターンでしかナレをいれないのすごくよかった

 

「生きるため」の最初の選択でうそをついたから、誰かが生きるためにして掃除もゴミ捨ても飲み食いにも興味がない

だから、自宅がどれだけ乱雑であろうと、集合玄関に落ち葉がたくさんあろうと、無関心、気づいてても興味がない

 

ただ川を渡るために橋の上を歩く、来た道を振り返る、このシーンを単音のピアノだけで表現したのはほんとすごい、音楽は菅野祐悟

 

今まで蔵之介に興味なかったけどいちばんを争うくらいよかった

 

たくさんの大人がいろんな角度から零くんを生かそうと見ているのに気づいていない、その目は死んでいる、ハイライトはない。だんだん気づいていって目に光が灯る

 

幼少期のシーンには必ず光の玉がある、まるで寄り添うように、支えるようにそばにある

 

背中、背中を背もたれに縫い付けられている感じだんだんと、ちくちくと縫い付けられて行く

圧がすごい、登場人物全員から「生きる」「生きてやる」「生きている」という圧がすごいから、それにだんだんと打たれていく

 

ごはん、食べることは生きること

唯一、食べるシーンがないのが宗谷冬司だ、飲むことすらしない

「気づきませんでしたか」「美しかったですね」たった二言で物語の全部を持っていってしまった

美しい、うつくしい、か

 

 

・・・

 

これが完成披露試写会で見た後、メトロに乗ってカカカカっとフリックしていたこと、なんだけど思い出すだけで泣きそうだ。

 

わたしは映画に「生きること」を見つけるのがすきで、そういうシーンやカットがうまく構成されている作品がすきなのだけど、『3月のライオン』は全編通してそれだった。「生きてない」シーンが、ない。

 

もちろんそれは人の営み、生活という点でもそうだ。上にも書いたと思うけど「食べること=生きること」という最大の方程式がこれほどまでに意味を持っているの、ジブリくらいしか出会ったことない。だって零くん、ひとりじゃちゃんとご飯食べないから。

でも川本家はご飯を与えるためだけの存在ではない。きちんと命の恩人で、きちんと零くんの人生の登場人物だ。「生きること」を教えてくれるひとたち。

 

教えてくれる、と言えば林田先生なのだけど、彼は彼でたくさんのことを教えてくれる。もちろん教師だから、勉強とか単位とか、そういう通り一遍のことはもちろん、零くんの人生においての優先順位をきちんとつけられるようにストレートな"言葉"で教えてくれる。導いてくれるひと。

 

零くんは当時、将棋でつよくなることしか生きる道を見つけられなかった。だから感情表現も言葉も、だいたい必要な時にしか充足してない。だからといって乏しいわけではない。でもそのまま、生きてこれたのは将棋で、盤の上で、たくさんの大人たちが零くんへ、たくさんの言葉を向けてくれたからだ、とおもう。零くんを、きちんと棋士として認めてくれているから、零くんがそこに存在していていいのだと、みんな一手一手で伝えてくれたから零くんはちゃんと道を歩いていける。街灯のように歩ける道を照らしてくれるひと、たち。

 

二階堂くんがいてよかったなあと心からおもう。あの夏が暑くてよかったし、青空がいい加減じゃなくてよかった。同年代に切磋琢磨できる人がいるだけでずいぶん人生の硬度は変わってくるんだなあと改めて思った。二階堂くんが会える距離にいてよかった!磨いてくれるひと。

 

この作品、いわゆるモブ、がひとりもいないのがすごい。ひとりの人生も残らず気になってしまう。知りたい。どこで生まれてどうやって育ってどうして将棋に出会って今、そこにいるのか。きちんと描かれる。それ、今までのすべて、ひいてはその人の人生が、一手にこめられている。

小さな駒が盤の上に置かれる時、ひとつまた歯車がまわる。そんなさまをありありと見せられる。

生きるしかない、とおもう。この人たちの人生を見つめて、自分の人生を見つめて、生きる、しかない。

 

 

・・・

 

 

そんな話のね、主人公、桐山零くんを、神木が演じてるんです。生きるか死ぬかを記憶がない中彷徨って、今ああして、立っている神木が。

神木のどこがどうで、なんてもう、話すことすら野暮なんじゃないかとおもう。ひとそれぞれのあの人の見え方があるだろうと思うし、結局神木が生きていてよかったにたどりつくので(……)、わたしはもう胸に秘めることにする。すきしかないんだもん。

神木、限りなく空に近い透明だとわたしは思っている。そして、もう、ずっとわたしのいちばん星なんだと、確信してる。

 

 

2017年3月18日、春の歌がぴったりだ。暖かい陽に包まれている日。季節にふさわしく、気高くありたい。自分に対して。自分だけでも。幻なんかじゃない今日をわたしは生きたい!

 

公開おめでとうございます!!ひとりでもたくさんのひとの目が、零くんの目を見て、自分の目に零くんの人生を映してもらえますように!